blog.florista-asaki

Florista Asaki Today's Lesson
 
<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
NEW ENTRIES
RE-COMMENT
  • 長いようで短かった介護生活が終わりました。ありがとうございました。
    Florista Asaki (09/10)
  • 長いようで短かった介護生活が終わりました。ありがとうございました。
    ほずみ (09/07)
  • お世話になった方へ哀悼! 新池圓さんを偲ぶ。
    フロリスタあさ木 (02/16)
  • お世話になった方へ哀悼! 新池圓さんを偲ぶ。
    KIN (02/12)
  • お世話になった方へ哀悼! 新池圓さんを偲ぶ。
    SEKI (02/12)
  • アドバンスレッスン 感動もののドライアレンジ?!
    Florista Asaki (10/08)
  • アドバンスレッスン 感動もののドライアレンジ?!
    SEK (10/04)
  • パナソニック社内報にフロリスタあさ木が?!
    Florista Asaki (08/08)
  • パナソニック社内報にフロリスタあさ木が?!
    Itoi (08/05)
  • 日曜 基本レッスン プリザーブドアレンジメント
    Florista Asaki (11/12)
RE-TRACKBACK
OTHERS
0
    スペイン語留学
     

    最近あるブログにはまってしまいました。

    Espanol.com   → click here

    こちらのブログ、スペイン留学に関することがいろいろと書かれているんですが、
    思わず自分の経験と照らし合わせてみたり??? 読んでるうちに自分の青春が
    よみがえってきたり???

    写真はメキシコの一本道なんですが、どこまでもまっすぐ果てしない道が
    続くんですよ。
    個人的な話で恐縮ですが、1980年代、
    メキシコ駐在の一年目、メキシコ自治大学の外国人学部で勉強する機会を
    得ることができたのです。が、なんと入学する直前にストライキに突入して
    入学待機を約1か月味わうことに。。。。ちょうどメキシコ人だけの下宿
    生活をしていており、下宿人に誘われて、フォルクスワーゲンのバン
    に乗ってアメリカ国境まで行商にいくのだけれどと行かないか???
    って誘われて、2人のメキシコ人と1人のハポネ(日本人)という
    変なパーティが一路アメリカまで。。。。
    どこまでも続く一本道を、当時でたばかりのウォークマンで TOTO の
    アフリカを3人で歌いながら、旅したのが、メキシコ留学???の始まり
    でした。
    当時は日本人が珍しく(30年以上前)、行く先々でチーノ、チーノ(中国人)
    といわれたものです。 
    日本から出国するときも、パンナム機(91年に倒産)で米国にむかう
    日本人はほぼ皆無でしたし。。。。
    いく町では、入国管理官に連れて行かれそうになったり、はたまた管理官
    を名乗る人から、ドルをだせとぼったくられそうになったり。。。。

    2年目は現地で仕事を任せられるので、語学だけは真剣勝負だったような???
    でも、実際の真剣勝負は、仕事をまかせられてからだったんです。
    仕事について半年後、当時まだメキシコでの支店展開がグアダラハラだけだった
    ので、北部に支店をだすので、1か月ほど市場調査をしてきてくれと当時の
    社長命令が。。。。一番やっかいだったのが、電話でのアポンイトをとること
    でした。 モンテレー、サルテイジョ、チワワなどのホテルにつくなり、
    電話のイエローページをめくり倒し、あってもらうように話をつけなくては。。。
    面と向かって話をするぶんには、最悪筆談???もありなのですが。。。。
    そのためにしたことは、メキシコシティーをでるときに頭の思考をスペイン語に
    きりかえたんです???
    日本語で考えるのではなく、スペイン語で考えることにしたんです???
    空港では、Estoy despegando al aeropuerto de Ciudad de Mexico con
    desitino a Guadalajara.....
    (今、グアダラハラへ向かってメキシシティ空港を離陸しています。。。)
    これは、めっちゃ効きました、100%切替はできなかったものの、思考が
    変わると、相手のいうことが少しづつわかるようになってきたのです。

    でも、最後まで習得が無理だということに気づいたのは、R&L, J&F,B&Vといった
    日本人が生まれながら区別しない発音でした。
    お酒が好きで、メキシコからアメリカ、南米、メキシコ国内をよく旅したのですが、
    ブル(BULL、テキーラ、ビールベースのレモネード割)というお気に入りのカクテル
    を注文しても、2,3回で通じることはまずなくて、カクテルベースの説明をして
    やっとブルが通じたり。。。。 ウォッカトニックも何回注文しても理解してもら
    えず、最後にはあきらめて、ジントニックを注文したり。。。。
    音感に関することは、絶対音感同様、どうもあきらめるしかないという結論に
    たっし、私は日本人なので、そんな発音の違いは無理と開き直ったりしたもの
    です????

    50も半ばにさしかかろうとしていますが、なにかにチャレンジしている瞬間
    が青春???なのかもしれませんね???
    今この瞬間にチャレンジしていれば、年齢に関係なくその人にとっては
    青春なのかもしれません。
    エスパニョールどっとこむ、忘れていたものを思い出させてくれたかも???
    Muchas gracias por espanol.com
    by Go.





     
    | 海外 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    0
      サグラダファミリア
       最近ほとんどテレビを見ることがなく、見ていても途中で寝てしまい
      気が付いたらリビングで夜中ということが多いようです。
       テレビも見ていてそのなかに引き込まれることが少ないですよね?
      たまたま天海祐希さんがスペインバルセロナのサグラダファミリアの
      レポートをされているのを見て釘づけになってしまいました。

      彼女、サグラダファミリアのなかにはいるやいなや泣いてしまうんです???
      それくらい強烈なインパクトがあるのでしょう??

          
         <入ってすぐの空間は森の中??>

      ガウディが作り始めて、いつ終わるともわからない建造物??
      初めて私がおとずれたとき(1980年代)には、まだ100年もしくはそれ以上
      かかってもはたしてできているのか???なんていわれていたのが、
      あと10数年でできるそうです。

      ガウディの構想や設計もさることながら、そのガウディに魅せられて
      サグラダファミリアの創作活動に携わった人たちの情熱、さらには
      ガウディをも超えんばかりの迫力をもって取り組む姿勢には、
      驚嘆させられるものがあります。

      3年ほど前に訪れた時にも、朝いちばんの開門と同時に入り、
      ただただ感動と驚きで過ごした時間をいまでも鮮明に覚えています。

       
         <教会の前はハーブだらけの植え込み>

      サグラダファミリアは、自然と一体になった人工建造物で、それも
      いたるところに、自然がとりこまれていて、なおかつ人の人生や
      生き方さえもこの教会のなかで表現されている???

      そのときのブログは → CLICK HERE

      なんだか、もう一度行きたくなってしまいました?!
      あの感動をもう一度!
      BY 剛。



      | 海外 | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      0
        盛夏到来!
         まだ梅雨明けはしていないようですが、今日朝からの空をみていると
        さあ、 夏到来!!という感じですよね。
         きょうは海の日で祝日だそうです。

        きょうは海にちなんで、。。。。。
        海をみて心の底から感動し、こんな海が地球上?にあるんやって!!
        おおげさではなく、ほんとうに震えがくるぐらいの感激だったのを今でも
        鮮明に思い出します。

         
            <カリブのビーチ>  

         それは30年くらい前のことで、メキシコに赴任して2ヶ月たったときでした。
        当時会社のはからいで、大学にいかせてもらっていてちょうど夏休みに、
        メキシコ人やスペイン人(カタラン人)約30名ほどの メキシコ南部を巡る
        2週間現地人バスツアー(約1万5千円程度)に日本人一人で参加したんです。
         メキシコシティーからバスでユカタン半島のつけねまで下り、それから
        ジャングルに入り古代マヤのピラミッド遺跡をめぐったり、半島を東西に
        横断して、グアテマラ国境のチェトマルシティーまでいきそれから、北上して
        鍾乳洞のセノーテ(池/湖)を巡る・・・・・・ 橋がないときには、渡し舟/
        いかだみたいな船で、バスごと渡ったりとか・・・・・毎日が、アドベンチャー
        まさに冒険の日々で、普段メキシコシティーの大都会に住むメキシコ人で
        すら、とてもエキサイトしてたんですよ。。。
         当時まだ現地人同士での会話は、まったくわからずかろうじて、1対1で
        わからないことはそのつど質問しながらなんとかコミュニケーションがとれ
        るような状態でした。
        そんな30名のツアーメンバーたちと打ち解けだしたときの食事に、
        ”セソデモノ”なるメニューが。。。まわりから ”Come seso,Go"
        /セソを食べろ、 Go / コールがおき、わけがわからず食べたんです。。。
        あとで辞書で調べたら、なんと ”猿の脳ミソ”だったんです!!!
        なんてことが。。。。

         そんないまわしい?ことを吹っ飛ばしてくれたのは、イスラムヘールという
        カリブに浮かぶ島にわたるフェリーからみたカリブの珊瑚の海でした。
        当時、カンクンは今みたいにホテルが乱立する観光地ではなかったようで、
        カンクンの港からイスラムヘールに渡りました。

         あまりの海の美しさにただただ呆然とするばかり!!
        珊瑚の美しさ、砂の白さ、海がブルー、コバルトブルー、グリーンと
        何色にも輝いてみえるんです?!
        まわりのメキシコ人たちすら、ひたすら感動、感激、ツアーに感謝?!
        あのときのシーンは、一生忘れられないと思います。
         
        ああ、あんなツアーはもう参加できないかも?なんて思います。
        今とてもとても、メキシコでバスでのツアーなんて危なくて無理ですし、
        地下鉄やながしのタクシーにも乗るのをやめるように。。。と
        いわれているようです。

          
           <イスラムヘール 島>

         楽しかった回想にひたっていると、現実の世界が。。。。
        今日のお花は楽屋花たち。。。。。

             
         <スリーディグリーズさんへ>   <木村充揮さんへ>


        それでは。
        by Go.
        | 海外 | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        0
          01月28日(木曜) 帰国しました!
           今日28日午前中パリから大阪へ帰ってきました。
          1週間のご無沙汰です。

          今回は、大阪からエールフランスでパリへ飛び、
          それから、バルセロナへ空路夜はいり;

           barcelona


           バルセロナでは、とても楽しみにしていたガウディをみるために
          サガラダファミリアの開門前に1番乗りで。。。。;

           sagrada

           そしてパリ、 メゾンエオブジェの展示会。。。。
          それから、TVGでアンジュ。。。。。最後の夜は予定にはなかった
          サプライズな出来事があったんです!!

           フランス フローリスト界の大御所 ジョルジュフランソワ氏と
          夜遅くまでお話することができたんです。。

           ジョルジュ氏
           <ジョルジュフランソワ氏作製のお花が表紙のベストフラワー
            と、今回ご一緒させていただいた クルーブコノリーさん
            とフロリスタあさ木のメンバー>

           今現在、ちょっと時差ぼけと疲れで、かなりはしょって書いていますが、
          詳しくは日をあらためてご紹介させていただきます。
          今回はいろんな感動的なことがあり、すこしづつこのブログでも
          ご紹介したいと思っています。

          それから、
           今回ご一緒させていただいた、西宮のお花屋さん”クルーブコノリー”
          の皆さん、奈良のポントガルテンの皆さん、それからパリでお世話になった
          ジョルジュフランソワさんとパートナーの佐々木智子さん、。。。。
          バルセロナのことをいろいろと教えてくれたタクシーの運転手さんたち
          また丁寧に接していただいたホテルのスタッフのかたがた。。。
          ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。
          心よりお礼申し上げます。


          それでは。
          | 海外 | 21:01 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
          0
            01月20日(木曜) バルセロナ、パリへ
             明日21日から28日まで、お店のほうお休みさせて頂きます。
            バルセロナ、パリなどをまわってくる予定です。

            その間はブログのほうもお休みさせて頂きます。
            それでは、しばしの間さようなら。。。。。

            | 海外 | 17:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            0
              01月08日(金曜) INSPIRE/新しい息吹を。。。。
               何か新しい息吹を、新鮮な風をと昨年後半ちょっと考えていました。
              ちょうど1年前ヨーロッパへ買い付けそしてアレンジのレッスンをうけたり
              と旅してきたんですが、今年はどうしようかとまよっていたんです。

               このご時勢、消費が低迷し物があまり売れないといわれています。
              そんななか、また買い付けにいくのもどうかと。。。。。
              でも、せっかくの去年の経験をたちきるのも。。。

               そのとき、ふと浮かんだ言葉が "Inspire" そして、なぜか
              バルセロナに行きたいと思ったんです。 
              さっそく、バルセロナにいる以前勤務していた会社の同期入社の
              友人にメールしたんです。 そしたら、10月末に上海に転勤に
              なったって。。。。返事がきました。
               でも、なんだかかえってバルセロナにいきたくなってしまったんです。

               ガウディ、ピカソ、ミロ。。。。そう、バルセロナという地中海
              に面する、スペインの都市は、多くの天才を生んだ街でもあるからです。
               そういえば、草月流の前の家元であった勅使河原 宏も、華道家であり
              ながら、ガウディに魅せられて、 アントニーガウディという映画まで
              つくっていますよね。
               ガウディ自身、”自然は開かれた努めて読むのに偉大な書物である”
              といったそうです。

               自然を大切にして独自の芸術を高めていった天才のすんだ街に
              Inspire されてみたい。。。?!

               GAUDI
               <サグラダデファミリア>

               1月21日から1週間、バルセロナとパリのメゾンエオブジェ
              へ、行くことにしました。

              Inspire といっても、どこかの車の名前ではありません。
              この言葉の意味を調べていたら;

               ”活力となるような思想・感情などを人の心に吹き込むこと。
              鼓吹。鼓舞。” 

              という意味もあるそうです。 またインスピレーションの動詞でも
              あるわけで、霊感を得るという意味あいもあるそうです。

              今回は、Inspire される旅になるかも??!


              それでは。
              | 海外 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              0
                8月14日(木曜) ニューヨークシティーセレナーデと赤塚不二夫
                 先日音楽は時を越えてという話をしました。
                そのときのメキシコ駐在を終えて、日本への帰国のときに聞いた音楽
                もまた、鮮烈な印象とともに不思議とポジティブな記憶のなかで蘇り
                ます。

                 あしかけ3年のメキシコ生活を終えて日本へ帰国の段取りとなり、
                本社のはからいで、1泊だけニューヨークを経由して大阪への帰国、
                また南米駐在のものまた米国へ駐在のものもニューヨークで全員集合
                とあいなりました。

                久々に同期入社のものとニューヨークであえるという期待もありました
                が、メキシコのベニートファーレス空港をでるときには、下宿のおばさん
                、3年間ともにくらしたメキシコ人それからスペイン語を教えてくれたり
                ともにすごしたメキシコ人が見送りにきてくれて、思わず胸が熱くなり、
                涙がとまらなくなりました。 日本へ帰国するという喜びよりも、むしろ
                メキシコを去らなくてはならないという悲しみのほうが大きかったような
                気がします。

                 日本の本社へは、その当時はテレックスという手段で連絡していたんで
                すが、メキシコの会社より自分の旅程、フライトは連絡されていたそうで
                す。

                 メキシコの空港より離陸して窓から見えるメキシコシティー、山々
                ポポカテペトル、イスタクシワトル。。。を見ながらアメリカへ入国と
                なります。
                ニューヨークへ入る前に、ワンストップで乗り継ぎ、ドメスティック
                フライトとして、ニューヨークのラ.グウアルディア空港に到着しました。
                 到着後、アメリカ駐在の同期入社のものが出迎えにきてくれていると
                いうことで、づっと彼らを待ち続けました。
                30分。。。1時間。。。2時間待ちますがだれも姿をみせませんでした。
                こちらも、日本本社へ連絡してくれているという情報を鵜呑みにして、
                ニューヨーク在住の同期のものの連絡先の情報をもっていませんでした。
                さすがに、3時間待ち、あちこち探しましたが誰も出迎えにはきていませ
                んでした。

                3時間たったときに、自分のフライトは本社もアメリカの同期たちにも
                ノーケアーだったことに気がついたのです。
                 それから、ニューヨーク一人旅が始まったのです。

                 英語は、日本をでるときにある程度は勉強しましたが、その当時
                トーイックのテストでも300点程度で最低クラス。 
                とりあえずタクシーに乗り、かたこと英語で話すんですが、ドライバー
                も片言英語だったんです。
                 話していくうちに、彼はコロンビア出身ということがわかり、もちろん
                スペイン語で話をすることになります。
                当時1985年なんですが、その当時でもマイアミでは70%の人たちが
                スペイン語をはなし、メキシコシティーのつぎにメキシコ人が多い都市は
                ロスアンジェレスだといわれていました。

                このスペイン語のできるコロンビア人との出会いが、不安を吹き飛ばし
                てくれて、宿泊先の確保から、夕食の場所それからナイトクルージング
                まで手伝ってくれたのです。
                私にとって、実に素晴らしいニューヨークの1泊でした。
                そのときにニューヨークから成田のフライトで聞いたのが、
                クリストファークロスのニューヨークシティーセレナーデでした。

                それはそれは自分にとって素晴らしいニューヨークの一夜でした。

                赤塚不二夫はなんなのかって?
                僕は、メキシコの会社にも本社の海外人事にも不思議と何の感情も
                わきませんでした。
                それよりも、アメリカの同期のものたちがJFK空港でづっと待ち続けた
                ということをあとできくことになるんですが、連絡のミスに対して憤りを
                もつよりも、 ラ.グウアルディア空港で、素晴らしきタクシスタ(運転手)に出会えたことにたいしてとても感銘をうけたんです。
                そう、”それでいいのだ〜、それでいいのだ〜。。。。”の境地なんです。
                先日ご逝去された赤塚さんの葬儀のなかでタモリさんが弔辞をのべられ
                ていたんですが、そのなかで”それでいいのだ”という1節にふれて
                おられました。
                ”それでいいのだ〜”の真髄は、まさしく今の日本の教育、歴史観に
                対する”アンチテーゼ”そのものだと思います。
                おこったことの物事をネガティブにとらえることは、自然の理に反する
                ことだと思います。 もちろん反省すべきことは必用ですが、おこった
                ことは進歩するための必然とどうもとらえるべきではないでしょうか。

                 自分におこることは、その人にとって必用なことが誰が考えたかわかり
                ませんがおこっているんではないか?
                自分におこることは それでいいんんです。。ネガティブにとらえるんで
                はなく、それでいいんですよね。。。

                The best that you can do is fall in love...
                あなたにできることのベストは恋におちること。。
                恋は比喩的ですが、何かに夢中になることが最高なんだと。。

                良い歌詞ですよね。

                このあとその会社を辞めたあと、10年後にコロンビアでのビジネス
                展開にコロンビア人を信じるかどうかのポイントはニューヨークでの
                タクシードライバーどの出会いだったのはそのときは知るよしもあり
                ませんでした。



                それでは。
                | 海外 | 00:43 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                0
                  8月3日(日曜) 音楽は時間を越えて!
                   毎日暑い日が続きますが、花屋はというとこれだけ暑い日が
                  つづくと商売的には冬?(暇な時期)の状態です。
                  というわけではありませんが、今はまっているのはyoutubeで
                  好きな音楽を聴くことです。 ネットは本当に便利でいろんな
                  曲を聴くことが出来るんですね。

                  そんな音楽は時をこえて、その音楽を聴いた瞬間に自分を引き戻し
                  そのときのシーンを鮮明に蘇らすことができるので本当に不思議で
                  す。

                   オリジナルではTOTOが奏でるアフリカという曲を、このごろ別
                  のグループのアレンジでFMなどでよく耳にします。
                  久々に懐かしいシーンがよみがえり、ネット上でTOTOの演奏で
                  このアフリカの曲を何度も聴いてみました。

                   実はこの曲を印象的に聴いたのは1983年6月にメキシコシティー
                  からアメリカ国境に向けて2人のメキシコ人と私をいれて3人で、車で
                  行商にむかうメキシコの大平原だったのです。
                   当時、入社2年目でメキシコに赴任して最初の1年目は地元の大学で
                  勉強させてもらうことになっていました。
                  5月にメキシコに到着するなり、メキシコ人しかいない下宿にはいり
                  大学への入学手続きをすることになるんですが、その大学がストライキ
                  をはじめてしまうんです。 まだスペイン語もままならない状態でした
                  が、ものを食べたいとか地下鉄やバスにのりたいとか必要最低限の言葉
                  は生きていくうえで話さざるをえない状況でした。
                   ストのため大学は授業がなく、そのとき下宿の住人がアメリカ国境まで
                  ひとかせぎしに行くんだがおまえもこないかと誘われたのです。
                   これはメキシコという国を知るチャンスでもあるし、全くのスペイン語
                  だけのなかにどっぷりとつかる良いチャンスだと思いOKしました。

                  フォルクスワーゲンのバンにメキシコ人2人とハポネス(私)1人という
                  へんな行商パーティーでしたが、メキシコシティーから一路アメリカ国境
                  までを車で駆け抜ける旅にでたんです。
                  その当時、今ほどに海外旅行をする日本人もなく特にメキシコの田舎で
                  は初めて日本人をみるメキシコ人がほとんどで、奇異な目でみられたも
                  のです。
                   いまでは、日本からアメリカへのフライトでは必ず日本人のアテンダント
                  がいたり、西海岸の空港では日本語のアナウンスがあったりするものです
                  が、当時赴任するときは、確かパンナムのフライトでロスまで飛んだんですが、乗客のほとんどは米国人で、日本人をみかけることはなくましてや
                  日本語のアナウンスは皆無でした。

                  さて行商の話なんですが、メキシコ人同士の会話は全くチンプンカンプン
                  でした。かろうじて私にゆっくりと話しかけてくるスペイン語になんとか
                  対応できるくらいで、こんなんで今から大丈夫なのかなって心配したもの
                  です。 しかし一方、メキシコシティーを離れて都市と都市のあいだは
                  大平原あり岩場あり、まっすぐのどこまでもつながる道路ありで、今まで
                  みたことのない光景にただただ感動したものです。
                   そのときに、日本からもっていっていたウオークマン(その当時でた
                  ばかりの商品)で、車のなかでつねにきいていたのが TOTOの曲
                  だったんです。 とくにアフリカの曲は大平原のなかを突っ走るシーン
                  にとてもマッチしていて、同乗していたメキシコ人たちも気に入ってくれ
                  て、3人でこのアフリカを歌いながら広い草原や砂漠のなかをかけめぐ
                  たものでした。
                   メキシコシティーから北上してケレタロ市、それからサンミゲール
                  アジェンデ市に到着して一仕事したあと、宿泊先のホテルに下宿のおばさん
                  より電話があり、会社の先輩に電話せよと伝言があったんです。
                   会社の先輩より大学のストはおわったのですぐにメキシコシティーに
                  帰れと指示があり、一人バスでメキシコシティーに帰りました。

                  もちろん帰りのバスのなかでも、このTOTOのアフリカをづっと
                  聞いていたのはいうまでもありません。

                  今でも、この曲を聴くとその当時のシーンやケレタロの町並みや、
                  サンミゲールアジェンデまでの道のりが走馬灯のように蘇ります。

                  音楽ってほんとうに不思議です。

                  それでは。
                  | 海外 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |