To be continued で終わったままになっていた、買い付け旅行の 最後の夜ですが、そのままほったらかしにしていました。 そのときのことが、今回の旅行の一番の出来事だったんです。 <夜のジョルジュさんの店先> アンジュから、TGV(新幹線みたいな高速電車)に乗って、 パリのモンパルナス駅に着いたのは夜9:00過ぎでした。 その朝、ジョルジュさんのお店においてもらっていた花瓶など をとりに、 ジョルジュさんのお店に行きました。 ちょうど後片付けをされていたので、私達4人も手分けして、 お店の前にだしてあった、商品をお店のなかにいれたりとお手伝い をさせてもらったんです。 朝はまだ花だし前でしたので、お花が並んでいなかったんですが、 そのときには、きれいにお花たちが並んでいました ; <きれいに花だしされたお店の中> あまりにも花のディスプレイがすばらしくちょっと圧倒されて しまったんです。 お花屋さんのお店の中のディスプレイなんですよ。 それまで、多分みたことのない手法で商品としての切花が かざられていたりするんです。。。。お気づきですか?? そんな店内のディスプレイを堪能しながら、ジョルジュさんや 共同経営者の佐々木さんたちと、店外の商品を手渡しながら、 後片付けをしていたところ、ジョルジュさんから、近くに おいしいサングリア(ワインベースの果実酒)が飲めるところが あるので、一緒にいこうとお誘いをうけたんです。 佐々木さんは、パリ最後の夜なのでもしかしたら既に夕食を どこかに予約されてるかもとお気遣いされたのですが、 こんな機会はまたとなく、ジョルジュさんたちと、飲んだり 食べたりしながら、 直接お話が聞けるので、すぐに行きましょう ということに。。。 そう、 パリ最後の晩餐は今度の旅行のなかで一番の出来事に なってしまったのです。 まずは、セラミを肴にサングリアで、ジョルジュさん、佐々木さん らと乾杯。。。 それから約12時すぎ(地下鉄の最終ごろまで)まで ジョルジュさんから、花、植物、フローリストとしての生き方、 お客様との接し方、人としての接し方。。。。。を、丁寧にお話し くださったんです。 ジョルジュさんは、花の学校にいかれたわけでもなく、戦争中に パリの郊外に疎開されていて、親御さんがペンション(民宿?)を されているなかで、そのなかでの植物のお世話をされていたのが 植物にかかわる最初だったそうです。 そうやって独学で、植物 や花の勉強をされ、1960年代にパリででてこられて、フローリスト としてのスタートをきられたそうです。 その当時、今みたいなブーケは存在しておらず、ジョルジュさん もその当時つくられていたお花(ブーケ)を綺麗(良い)だとは 思われず、ジョルジュさん独自の ブーケロン(今でみる丸いブーケ) をお作りになられたら、それが現在のブーケの潮流となってしまった んだそうです。 当時のミッテラン大統領が、そのブーケをお求めに通われたり、 有名なブティックの活け込みをされたり、また現在活躍している フランスのフローリストたちを直接育てたり、また多大な影響を あたえているんだそうです。 昨年、パリでレッスンを受けさせていただいた、 エリックショヴンさん も、ジョルジュさんの教えを受けられているということを今回 初めてしりました。 今回、エリックさんがフローリストとして勉強された学校のある 町へいきたいがために、今回の旅行の最終日にアンジュを訪れたの ですが、 その師匠ジョルジュさんにお会いできるとは、これも なにかのご縁としかいいようがありません。 ジョルジュさんの生き方はいたってシンプルで、 1)自分で良いと思うもの、納得するものには、正直であること。 2)すべての人に同じ目線で接するということ。 3)フローリストとしての原点を常に大切にしていること; 毎日、花、植物、土をさわり仕事をして、はじめてフローリスト として生きていけるとう信念をお持ち(手のひらはひび割れ ていたり、ごつごつとしていました。。。触らせてもらいました) 4)お客様は王様という信念をおもちである。 などなど、ここには書ききれませんが、 1)については、ブーケロンをどうして考案されたんですか? とお聞きしたときに、それまでのものは綺麗ではなかったからと 答えられたんです。 また、青木貞治さん(雨宮塔子さんのご主人)がパリで、パティシエ として、成功されるときに、ジョルジュさんがそのお菓子を、 パリでいろんな著名なかたにご紹介されるときに、ジョルジュさん ご自身が自分で食べてみて良いと思ったから(納得したから) 紹介したんだ、といわれたのには、それが、ジョルジュさんの 生き方なのだと。。。 良いものを本当に求める姿勢に、感心させられました。 ケンゾウさんのお店をパリで探すときにも、ジョルジュさん 自らお手伝いされたそうです。 ケンゾウさんの良さを認められ ていたんでしょうね。 2)の全ての人に同じ目線で接するということは、ジョルジュさんの ようなかたでも、そのことを実践されているのにはびっくりさせられ ますよね。 これだけの経歴のあるかたにもかからわず、通りすがりの、 見ず知らずの日本の花屋さんに、諭すように丁寧にお話いただける とは、本当に感動しました。 ついつい、成功していくと、上から 目線になってしまいがちですが、どんな人に対しても、同じ目線で 話ができるということは、すごいことです。 逆にいえば、どんな 人とも対等に話ができる教養と経験が必要なんですから!! 3)フローリストにかぎらず、どんな仕事でも現場での仕事を 最優先しないといけないということですが、ジョルジュさんらしく 具体的なフローリストの名前を出して失敗例を我々に説明されたん ですよ?? ここでは書けませんが。。。。。 えてして、成功すると現場を忘れて営業的活動のみになってしまったり、 冨ができると、その運用などにはしりがちですが、そのことを しっかりと戒めていただきました。まあ、我々にはそんな心配は かいもく無縁なようですが。。。 4)ジョルジュさんの口からはっきりとおっしゃったんですが、 ”お客様は王様です” と。 非常に日本的な発想ですよね。 その内容は、まるで松下幸之助さんのようにも思えるんです。 お客様を常に観察して、お客様には NO(できません)とは 決していわないこと! そのお客様がもとめているものを探り出し できるだけ、そのお客様のレベルまで近づけることを心がけるよう してきたんですとおっしゃられるんです。 また、お客様のお店での行動をさりげなく観察してそのお客様の 嗜好(興味)を探ることも大切だと。。。。 他にも深夜まで、いろんな興味深いお話をされました。 見ず知らずの日本人に、ジョルジュさんのこれまで70年近い ご経験をもとに、熱心にお話されているのをお聞きして、感動の あまり、我知らず聞いている我々が涙をながしてしまったんです。 そうすると、なんとジョルジュさんも涙をこぼしておられたんです。 気がついたら、地下鉄の最終の時間でした。 ジョルジュさん、そして佐々木智子さんほんとうにほんとうに ありがとうございました。 来年は、ジョルジュさんにお会いすることを主目的にパリを 訪れたいと思っています。 また、今回アンジュ行きをすすめていただいた西宮のお花屋さん クルーヴコノリーさんたちも、御礼申し上げます。 パリでは風邪をこじらせたり、アンジュ行きのTGVにはうまく 乗れなかったりしましたが、 どれがなくてもジョルジュさんたちと こんな時間をもてなかったのですから、起こった全てのことに 感謝しなくてはいけないのかもしれませんね。 それでは。 ps 東京世田谷花き共同組合さんが、発行されている paseo vol.27 Winter 号 で、パリ特集がされており、そのなかで ジョルジュフランソワさんも紹介されています。 さっそく、20部ほど取り寄せてフロリスタあさ木のお店に もおいています。 レッスンのかたには既にお渡ししていますが、 まだ少し残っていますので、興味のあるかたはお声をかけてください。 今回paseoを送っていただくにあたり、東京の森美保さん(アリエル クール)にはご配慮いただきありがとうございました。 |
⇒ Florista Asaki (09/02)
⇒ Takashi Kondo (09/01)
⇒ Florista Asaki (05/28)
⇒ 姉妹の母 (05/25)
⇒ Florista Asaki (12/07)
⇒ 島 美智子 (12/05)
⇒ Florista Asaki (09/09)
⇒ t.o. (08/08)
⇒ Florista Asaki (05/23)
⇒ Florista Asaki (05/23)