毎日暑い日が続きますが、花屋はというとこれだけ暑い日が つづくと商売的には冬?(暇な時期)の状態です。 というわけではありませんが、今はまっているのはyoutubeで 好きな音楽を聴くことです。 ネットは本当に便利でいろんな 曲を聴くことが出来るんですね。 そんな音楽は時をこえて、その音楽を聴いた瞬間に自分を引き戻し そのときのシーンを鮮明に蘇らすことができるので本当に不思議で す。 オリジナルではTOTOが奏でるアフリカという曲を、このごろ別 のグループのアレンジでFMなどでよく耳にします。 久々に懐かしいシーンがよみがえり、ネット上でTOTOの演奏で このアフリカの曲を何度も聴いてみました。 実はこの曲を印象的に聴いたのは1983年6月にメキシコシティー からアメリカ国境に向けて2人のメキシコ人と私をいれて3人で、車で 行商にむかうメキシコの大平原だったのです。 当時、入社2年目でメキシコに赴任して最初の1年目は地元の大学で 勉強させてもらうことになっていました。 5月にメキシコに到着するなり、メキシコ人しかいない下宿にはいり 大学への入学手続きをすることになるんですが、その大学がストライキ をはじめてしまうんです。 まだスペイン語もままならない状態でした が、ものを食べたいとか地下鉄やバスにのりたいとか必要最低限の言葉 は生きていくうえで話さざるをえない状況でした。 ストのため大学は授業がなく、そのとき下宿の住人がアメリカ国境まで ひとかせぎしに行くんだがおまえもこないかと誘われたのです。 これはメキシコという国を知るチャンスでもあるし、全くのスペイン語 だけのなかにどっぷりとつかる良いチャンスだと思いOKしました。 フォルクスワーゲンのバンにメキシコ人2人とハポネス(私)1人という へんな行商パーティーでしたが、メキシコシティーから一路アメリカ国境 までを車で駆け抜ける旅にでたんです。 その当時、今ほどに海外旅行をする日本人もなく特にメキシコの田舎で は初めて日本人をみるメキシコ人がほとんどで、奇異な目でみられたも のです。 いまでは、日本からアメリカへのフライトでは必ず日本人のアテンダント がいたり、西海岸の空港では日本語のアナウンスがあったりするものです が、当時赴任するときは、確かパンナムのフライトでロスまで飛んだんですが、乗客のほとんどは米国人で、日本人をみかけることはなくましてや 日本語のアナウンスは皆無でした。 さて行商の話なんですが、メキシコ人同士の会話は全くチンプンカンプン でした。かろうじて私にゆっくりと話しかけてくるスペイン語になんとか 対応できるくらいで、こんなんで今から大丈夫なのかなって心配したもの です。 しかし一方、メキシコシティーを離れて都市と都市のあいだは 大平原あり岩場あり、まっすぐのどこまでもつながる道路ありで、今まで みたことのない光景にただただ感動したものです。 そのときに、日本からもっていっていたウオークマン(その当時でた ばかりの商品)で、車のなかでつねにきいていたのが TOTOの曲 だったんです。 とくにアフリカの曲は大平原のなかを突っ走るシーン にとてもマッチしていて、同乗していたメキシコ人たちも気に入ってくれ て、3人でこのアフリカを歌いながら広い草原や砂漠のなかをかけめぐ たものでした。 メキシコシティーから北上してケレタロ市、それからサンミゲール アジェンデ市に到着して一仕事したあと、宿泊先のホテルに下宿のおばさん より電話があり、会社の先輩に電話せよと伝言があったんです。 会社の先輩より大学のストはおわったのですぐにメキシコシティーに 帰れと指示があり、一人バスでメキシコシティーに帰りました。 もちろん帰りのバスのなかでも、このTOTOのアフリカをづっと 聞いていたのはいうまでもありません。 今でも、この曲を聴くとその当時のシーンやケレタロの町並みや、 サンミゲールアジェンデまでの道のりが走馬灯のように蘇ります。 音楽ってほんとうに不思議です。 それでは。 |
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